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東京地方裁判所 昭和36年(レ)688号 判決 1963年5月07日

控訴人 石井金

右控訴代理人弁護士 斎藤兼也

被控訴人 野池成美

右訴訟代理人弁護士 池内省三

同 浅野利平

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、控訴人は、被控訴人が鈴木市蔵から賃借していた同人所有の本件家屋を昭和三二年九月一一日同人から買受け、同時に賃貸人の地位を承継したことは当事者間に争いがなく、控訴人が被控訴人に対し昭和三三年四月一五日到達の本件訴状をもつて、同日本件賃貸借契約解約の意思表示をなしたことは、本件記録中の訴状並びに郵便送達報告書によつて明らかである。

そこで先ず、右解約申入に正当事由があるか否かを判断する。

成立に争いのない甲第二号証≪中略≫によればつぎの事実が認められる。

控訴人は大正一三年頃から、肩書地町内に住み、米穀商を営んでいたが、居住家屋が戦災にあい、昭和二〇年頃肩書地所在の現住家屋のうち二階六帖一間を高橋一良から賃借したものであるが、昭和三二年春頃は控訴本人長男真司(当時二九才位)二男英二(当時二二才位)、長女きよ子(当時二〇才位)が同所で同居し、控訴人に店舗を別にもつて通勤していたが、長男真司は大学を出て日本勧業銀行につとめており、同年六月頃結婚した。当時、長女きよ子が病身で家事労働や、控訴人の身のまわりの世話も十分できなかつたため、長男真司夫婦と同居することを望んでいたが、家が狭いため、やむなく一時他に部屋を借りて別居した。けれども控訴人は右六帖一間だけでは狭く何かと不便を感じていたところ、たまたま知り合いの不動産周旋屋に所用で赴いた際、本件家屋が売りに出ていることを知りこれが控訴人の現住居と同町内の極く近くであつたため、自己の住居にあてる意図で、所有者鈴木市蔵から依頼をうけて、売買の仲介をしていた不動産業者飯塚吉太郎と交渉し、同年九月一二日代金五五万円で買受けた。買受当時、控訴人に本件家屋には永年被控訴人が住んでいることは知つていたが、同町内で兼ねてからの知り合いの間柄でもあるので、買受後、控訴人が明渡を求めれば、応じてくれるものと思い、被控訴人に明渡の意思があるかどうかも確かめずに買受けた。

右買受後すぐ、控訴人は被控訴人に対して、現住居が狭くて困つている事情を説明し、明渡の交渉をしたが承諾を得られず、また同年一一月二〇日に控訴人が住んでいる家屋の階下(四帖半、三帖各一間)がそこに住んでいた借家人吉田太己夫が転居して空いたため、この部分も所有者高橋から借りうけ、結局家屋全部を借りたので、同高橋の承諾を得たうえ、(但し、その承諾は、賃貸借期間を二年とし、契約を裁判上の和解調書にするとの条件がついていた)控訴人の賃借家屋と本件家屋の交換を申出たり、長男真司夫婦が借家を同年一一月中に明渡さなくてはならなくなつたので、同夫婦が住むために、同件家屋の二階部分だけでも明渡してもらいたいとも申出たりしたが、いずれも被控訴人は承諾しなかつた。

かくするうち、真司夫婦はその借家を明渡して控訴人方へ帰り、また、住込店員として、矢口敏文を雇入れて同居することとなつたため、次男英二は勤務しいる会社の寮に移り、二階六帖を長男夫婦が、階下四帖半を控訴人と長女きよ子が、同三帖を矢口がそれぞれ使用するようになり、家財道具類は廊下などに置いて窮屈な生活をしていた。長女きよ子は、その頃結核で入院したが、いずれも退院し自宅療養が予想された。一方被控訴人側は、被控訴人は昭和三年頃から現住町内に居住していたが、昭和二〇年三月二〇日本件家屋(階下に六帖一間、二帖二間、台所、二階に六帖、四帖半各一間)を、当時所有者であつた鈴木市蔵から賃借し、以来町内会の役員などにも就き、本件家屋を中心とする社会的信用も得るようになつた。

昭和三三年四月当時、本件家屋に居住していた被控訴人の家族は、被控訴本人、妻き乃、長男美哉(当時三〇年)、次男敬三(当時二四年)で、控訴本人、本件家屋に隣接している家屋の階下一三坪位を借り、昭和一三年頃から小規模ながら、機械等の製作工場を経営し、年収は六〇万円余りであり、妻き乃は助産婦で昭和二六年二月七日本件家屋を助産所として使用することを都知事から許可され、その後年間二人か三人程度しか入院者はないが、一応本件家屋の一階二間を分娩室と控室にあてて営業し、入院者のないときは右二階の部屋は家族の者が使用している。

長男美哉は大学を出て武田製薬株式会社の研究室につとめ、次男敬三も日産ヂーゼル株式会社に勤務しており、両名とも独身であつた。

控訴人は右の如き事情にあつた当時本訴を提起しこれによつて解約申入をなしたものである。

その後控訴人側は昭和三五年五月に長女きよ子が退院し、自宅療養をするようになり、階下四帖半を控訴本人と共に使用し同きよ子は雇人の矢口と婚約も成立した昭和三八年一月一三日に挙式の予定となり結婚後は現住家屋で生活することとなつた。また、昭和三五年三月に長男真司夫婦に子供が産れ、二階六帖を親子三人が使用するようになつたが、更に昭和三八年二月頃に第二子が産れる予定となつた。控訴人も再婚の意思があるが、現住家屋が狭すぎるので具体的な話も進まず、依然住居が狭くて生活に不便を感じており、昭和三七年三月一八日には店員を更に一人雇入れ、階下三帖の間に矢口と共に住込ませたところ、部屋が小さいことを理由に二週間位でやめてしまい、その後も人手が足りず、店員の雇入をしたいが、住居の関係で、できない状況にある。控訴人は、原審係属中調停手続において五〇万円の立退料の支払並びに昭和三二年九月一二日以降の未払賃料の免除などの条件を付して明渡交渉をしたり、本件家屋を被控訴人に買取つてもらうとの案も出したが、いずれも被控訴人の拒絶にあい不調に終つた(この点は当事者間に争いがない)。

被控訴人は家族関係、本件家屋の使用状況は以前と変らず、控訴人が前記の如く本件家屋の明渡しについて相当努力をしている反し、他に移転家屋を探すなどの努力はしていない。しかし、賃料は控訴人において受領を拒絶したので、供託をつづけている。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

そこで右事実に基づき考えるに、解約を申入れた昭和三三年四月一五日当時控訴人としては、その営業並びに家事の面倒をみるため住込店員や長男夫婦と同居することが必要であり、そうすると控訴人の居住家屋が、家族等の数に比して非常に狭い点から、それより幾分でも広い本件家屋使用の必要性が相当高いことは明らかである。一方被控訴人側は長男及び二男はいずれも結婚適令期であるけれども、その職業等からして、被控訴人と別居して独立して生計を営むことはさして困難とは思われないから、同人らと同居していることは本件家屋の必要度を考えるうえで、それ程重大な要素とは云えない。したがつて同居家族数と居住家屋の狭隘の関係からは、本件家屋使用の必要性は控訴人に歩があるものと考えられる。しかしながら、被控訴本人は本件家屋と隣接する建物の一部で工場を営んでおり、妻き乃は助産婦で入院者が少いとは云え、本件建物を助産所として使用することの許可をうけ、これを利用して営業しているものであつて、若し本件家屋を失うこととなれば被控訴人や妻の右各営業に大きな支障をきたすことは明らかであつて、かかる支障のない家屋を他に求めることは極めて困難であるから、この点から被控訴人の本件家屋確保の必要度は切実なものと云わざるを得ない。被控訴人が、控訴人申出の控訴人居住家屋と本件家屋の交換や、二階部分のみの明渡要求を拒絶したのも交換をすれば、控訴人居住家屋が本件家屋より狭く、助産所には適当でないこと、短距離とは云え、工場と離れる結果になること、加えて所有者高橋は被控訴人に対して賃貸する条件として賃貸期間を二年として、裁判上の和解をするとの条件を付しており、これは賃借人として相当不安な立場に立たざるを得ないこと、また本件家屋の一階を明渡せば、被控訴人の家族が使用する部分が非常に狭くなり、かつ助産所営業も不可能になること、などを考えると右拒絶は相当の理由のあるところである。

以上のように考えると双方の解約申入当時における本件家屋使用の必要度はいずれが強いとも云えないが、控訴人は本件家屋を買受けるに際し、そこには長年来の知り合の間柄である被控訴人が一〇年余りも前から住んでいて、被控訴人側の事情も十分知りながら、予め被控訴人に明渡意思の有無も確めずに簡単に明渡してもらえるものと判断して買取り、その後すぐに明渡を申入れるようになつたこと、買受後に長男真司夫婦と同居するようになつたとは云え、買受当時は二階六帖のみを借りていたのが、その後階下部分も合わせて借りうけるようになり、幾分住居の事情が好転したこと、を合せ考えると、未だ右解約申入の正当事由があつたとは云えない。

また解約申入後においても、控訴人長男真司夫婦に子供が産れて家族数が増加し更に一子が出産する見込みとなり、控訴人に再婚する意思もあるが、長女きよ子も病身であつたのが、矢口と結婚できる程度に健康も恢復しているのであるから、家事、被控訴人の身のまわりの世話位は同きよ子において、十分できるものと考えられ、そうすれば、長男真司家族と同居していなければならないということも以前に比較して切実でなくなり、真司もその経歴、職業からして控訴人と別居して生活することも経済的に云つて、さ程至難とは考えられないから、控訴人側の本件家屋の必要性は、前記解約申入当時より減少している。将来控訴人が結婚したとしても、長男真司が別居すれば十分間に合うことであり、また店員雇入れの必要性は本件家屋を買受ける以前からあつたことで、急に生じたことでもないからこれらをもつて、特に本件家屋の必要性が加つたものとは云えない。また原審における和解の際、被控訴人が控訴人の申出た条件で明渡し、若しくは買取要求に応じなかつたことも、前記の如き被控訴人側の事情を考えれば、その提示された立退料並びに免除申出の未払賃料の額は到底被控訴人が本件家屋を喪失することによつて生ずる出費、損害を補償する程度のものとは云えず、また被控訴人への売却価額も控訴人の自陳するところによれば二二五万円と云うのであるから相当高価で、被控訴人の経済状態からしてそう容易に応じられる金額とも云えないので、これらの提案を拒絶したこともやむを得なかつたものと考えられるし、被控訴人が控訴人のこれら種々の提案を拒絶するのみで、他に移転家屋を探すなどの努力をしなかつたことも、前記の如き被控訴人の工場経営、妻の助産所経営並びに被控訴本人の長年にわたつて礎いた本件家屋を中心とした社会的信用等に対する影響を考えると、本件家屋にかわる適当な家屋がそう簡単に見つかるとも思えないので、これをもつて被控訴人を責めるべき筋合でもない。してみれば、前記解約申入後においても新たに解約申入の正当事由を生じたものとは云えず、結局無条件かつ即時の明渡請求は理由がないこととなる。

二、控訴人は前記第二、三次的請求の趣旨のとおりの条件を附加して本件家屋明渡を求めているが、これは前記無条件かつ即時の明渡請求と別箇の請求が予備的に併合されていると解すべきではなく、請求は同一で、単に予備的に攻撃方法として主張したものと解するのが相当であるから、第二、三次的請求の各請求原因として主張する解約の申入について判断する。

しかるところ、控訴人が第二次的請求趣旨のとおりの条件の負担を申出たのは、昭和三六年六月二一日付準備書面が陳述された原審第一四回口頭弁論期日である同月二九日であり、第三次的請求趣旨のとおりの条件の負担の申出は、昭和三七年三月一二日付準備書面が陳述された当審第一回口頭弁論期日であることは、いずれも当裁判所に明らかであり、いずれも解約を申入れたものとみるのが相当である。

そこで右各解約申入の正当事由について考えるに、控訴人において申出している補強条件たる負担(免除を申出している未払賃料並びに損害金の額は、第二次的請求については、これを確定的に計算することはできないが、最終口頭弁論期日たる昭和三七年一一月一九日当時を基準にして計算すると約二〇万四千六百円になり、第三次的請求について、約二一万七千八百円余となる)が、被控訴人において、本件家屋を明渡すことによつて生ずる移転料、他に家屋を借りるに際しての出費及び被控訴本人の工場経営、妻の助産所営業の支障被控訴本人の本件家屋を中心として社会的地位の喪失等を償うに十分とまでもゆかないにしても、被控訴人にとつて相当程度に満足しうる程度であるならともかく、右各補強条件はいずれも未だこれに及ばず、更に、控訴人が本件家屋を鈴木市蔵から買受けた価額は当時においても非常に安かつたこと(原審係属中、控訴人が被控訴人に対する売却値段として申出た価額が二二五万円であつたことから推認される)、前記の如く控訴人は相当古くから店舗を構えて米穀商を営み、店員も増員する必要のある程であるから、順調な営業状態であり、経済状態もそう悪いとは考えられず、右申出た負担が控訴人の資力の許す限度一杯のところのものとも云えず、その他本件家屋を控訴人が買受けた経緯等を合せ考えると、控訴人において賃貸人としてのいわば社会的責任を未だ果したと云うには不十分というべきであろう。

これらの諸点を考慮すると控訴人第二次、第三次的に申出た各負担をもつてしては、いずれも本件賃貸借契約解約申入れに必要な正当事由の欠缺を補完するには足らないものというべきである。従つて解約申入の正当事由は存しないこととなる。

三、されば本件家屋賃貸借は解約の効果を生ずるに由なきものであつて、控訴人の請求は全て理由がなく、これと同旨の原判決は正当であるから、本件控訴は棄却すべきである。

よつて民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山要 裁判官 中川哲夫 岸本昌巳)

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